地方文化の日本史 江戸と地方文化 第7巻

江戸と地方文化 地方文化の日本史

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4: ページ数: 371p: 大きさ: 20cm: 全国書誌番号:※クリックで国立国会図書館サーチを表示: 言語: 日本語: 出版国: 日本. 小林市史 第2巻. 土木学会「明治以前日本土木史《1936 農山漁村文化協会「日本農書全集 65 開発と保全《1983. Bib: BNSubject:. 薩摩焼の里、美山を歩く 苗代川。望郷の丘. 2-1 地方志の起源.

Amazonでの地方文化の日本史〈第7巻〉江戸と地方文化 (1978年)。アマゾンならポイント還元本が多数。作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 第32回 地方出版文化功労賞受賞作 第32回地方出版文化功労賞は、本年7月20日の最終審査会において決定した。. 地方文化の日本史 第7巻 江戸と地方文化 2 文一総合出版 1978.

名古屋市会史 第五巻 (t13 ~ s 3) 昭和17年 名古屋市會事務局: L: 79 : 6 : 名古屋市会史 第六巻 (s 4 ~ s 6) 昭和17年 名古屋市會事務局: L: 79 : 7 : 名古屋市会史 第七巻 (s 7 ~ s10) 昭和28年: 名古屋市会事務局 編. 岩手県大船渡市三陸町綾里(りょうり)に今も残る千田家の現当主は、千田基久兵衛(きくべえ)さん。千田家は、江戸時代には廻船交易で大きな財をなしていました。この古文書を、私たちが組織した「三陸古文書調査研究会」で一つひとつ整理し、目録をつくり始めています。(編集部注:東京農工大学助教授、高橋美貴さん(「三陸水産資源盛衰史」参照)が代表を務めている) この千田家の生業は、網元としての漁業生産でした。どれぐらい人を使っていたかはわかりませんが、自分の浜に住んでいる賃稼ぎ労働者を浜子(はまこ)として雇用していました。主には鰹(かつお)漁ですが、鮪(まぐろ)漁、鰯(いわし)漁も行なっていたようです。ほかには鮑(あわび)、ウニ、昆布、ワカメといった磯漁も行なっていたようです。でも、今と違って、それらが豊富にあることと、商品にできるかは別問題です。特にウニはたくさん捕れても、生のままだとすぐに傷んでしまう。新鮮なまま運ぶ流通手段がなく、保存技術も塩ウニぐらいでしたが、まずいために需要がなかったようです。 その中で、鰹製品は塩を大量に使って塩鰹にして、塩辛い鰹の半生利節みたいなものが素朴な加工として、行なわれていました。 これらの諸製品が、おそらく千田家の江戸中期の経営を支えたんだろうと思います。捕ったらすぐ加工しなくてはならないから、浜周辺で全部加工していたはずです。山が迫っている土地柄なので耕地は少なく、漁業生産以外には山仕事を主として行なっていました。 そして一番重要だったのは、それらの生産物を江戸に持って行く運輸業です。千石船を何艘保有していたかは時期によっても違うし、まだ特定できませんが、自己所有船を持ち、乗組員を育成して船頭や水主を任せ、江戸に運んでいたのです。 つまり、自分で生産したものを運ぶために手船を持っている。それ以上の荷物を運ぶために運送業に乗り出したかどうかは、これからの研究課題です。現在残る千田家の資本のつくられ方から見て、多少は周辺の荷を集めて出荷しているでしょうが、例えば蝦夷地に行って海産物などを買いつけて、それを江戸に運ぶという輸送業へ進出した痕跡は、今のところ見つかっていません。千田家は、もっと地元密着型の生業発展をした地域型商人という感じがします。 これと違うのは、先ほど第二類型として挙げた石巻の武山家です。武山家は生産とは離れた輸送業者型で. 地方志(中国では「方志」とも呼ぶ)は省、県、市などの特定の地域を範囲として、その地域の政治、経済、地理、歴史などの状況を総合的に記録した資料である。地方志という呼称は中国独特のもので、「地方史」とは異なり、歴史以外にも豊富な情報を得ることができるため、地方志は地域の百科事典のような性質を持つ。 地方志は刊行された年代によって2種に大別できる。1種は旧方志と呼ばれ、中華民国期までに編纂された地方志である。もう1種は新方志と呼ばれ、1949年の中華人民共和国成立以降に編纂された地方志である。 中国に現存する地方志は、旧方志だけでも8,500余タイトル、10万巻に上り、分量の上では1949年以前に刊行された文献の10分の1を占める大きな資料群となっている1。地方志は地方に伝わる伝承や各地で保管する公文書資料も情報源とするほか、実地調査も行ったうえで編纂されていることが多いため、地方に関する詳細な情報を得やすい。また、地方志は各地域の社会・歴史の様相を反映しており、地域研究だけでなく、中国全体の歴史や経済を研究する上でも欠かせない資料である。 本稿では中国の地方志の歴史や特徴について概括するとともに、当館における所蔵状況を紹介する。. 地方文化の新展開 フォーマット: 図書 責任表示: 峰岸純夫編 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 文一総合出版, 1978. Amazonでの地方文化の日本史 第7巻 江戸と地方文化 2。アマゾンならポイント還元本が多数。作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。.

小林市史 第1巻 国書刊行会/発行 ※ 上記の復刻版. 流通路が拡大、複雑化し、モノの生産と消費の主体が庶民に及び、多様化していくのが江戸後期といってよいと思います。この結果起きるのが、庶民の食文化の成熟です。 一例を挙げますと、まず醸造物があります。江戸時代初期は味噌・醤油などの醸造生産地帯である銚子千葉や武豊(たけとよ)愛知では、地回りの大豆を主に使っていました。ところが江戸時代後期になると、奥州産の南部大豆が運ばれるようになります。武豊の文書にも「大豆は奥州産がいちばん良い」とあって、江戸・神奈川・浦賀神奈川というハブ港を越えて伊勢湾沿岸にまで流通するようになりました。 これは大きな変化です。塩の場合も播州赤穂塩が高級品として珍重されましたが、徳島の鳴門でつくられる後発商品の「斎田塩」が価格も手ごろで民間に浸透するようになります。米と大豆、塩がそろえば、味噌などの醸造品が生まれます。知多半島や三河では、奥州大豆と斎田塩などで味噌がつくられ、それが伊勢や関東方面に出荷されていきました。 では、海産物はどうかというと、当時は冷蔵技術がありませんから、海産物は塩乾処理したものになります。この時期三陸地方から安価な鰹節が入るようになってきます。庶民階層にまで醤油と鰹節が入り、食卓が変わるわけです。 江戸時代前半の庶民の食事は、調味料も素朴で、塩ぐらいしかなかったといわれます。それが化政期あたりから関東地回りの醤油が入ってくる。そのもとは三陸の大豆や瀬戸内の塩で、この大量供給により、江戸・大坂の食文化がどう変わるかという興味深い問題があります。 また、蝦夷地産の二大生産物として鮭とニシンがあります。東岸で鮭、西岸ではニシンが有名です。この蝦夷地西岸から北陸〜瀬戸内〜上方までのラインは今でもニシン食材の文化圏ですね。 一方、蝦夷地東岸は鮭文化圏です。鮭は平塚家の奥筋廻船ルートで石巻宮城や那珂湊茨城、江戸に運ばれました。那珂湊では那珂川を遡上して茨城や栃木まで運ばれていきます。銚子から利根川を上り、群馬や江戸に入る場合もあります。このため、東北から関東地方の太平洋側は、鮭食材の文化圏になっています。朝ご飯で塩鮭を食べる風習がいつごろ始まったかというと、おそらくはこの時期ではないでしょうか。 要するに18世紀〜19世紀は、農産・海産物や加工品が大量に市場に供給されるようになり、庶民に行き渡るようになる。そ. まず、18世紀〜19世紀、江戸後期における舟運路をどう捉えるかという問題があります。私はこの時期、日本列島を3つに分けて「北前船(きたまえぶね)」「尾州廻船(びしゅうかいせん)」「奥筋廻船(おくすじかいせん)」からなる三大航海圏として考えています。これは物流からの裏付けです。 3つの航海圏は両端の港でリンクしています。例えば、奥筋廻船と北前船という2つの航海圏が結節する箱館港と松前港はハブ港(海上輸送の中継地点となる港。周辺各地への交通機関が集中する場所でもある)ということができるでしょう。同様に、尾州廻船と奥筋廻船が結節するのが江戸港、神奈川港、浦賀港。北前船と尾州廻船は基本的には大坂港、兵庫港で結節しますが、瀬戸内海一帯でも重複しています。このようなハブ港が成立して、日本全土を覆う流通ネットワークができ上がるのが19世紀前半のことです。 それぞれの航路には、有力な船主がいます。北前船船主である越前河野(こうの)浦の右近家の商圏は、稚内から始まって日本海側を下って大坂、兵庫、堺まで及ぶ。奥筋廻船の船主である石巻の武山家や平塚家の資料を見ると、その商圏は北海道の東岸から東北太平洋岸、関東の江戸、浦賀に及んでいる。尾州廻船の船主、内田家の史料を見ると、江戸から瀬戸内海沿岸、下関まで及んでいる。そして、それぞれの船主の家は、各航路の中央部に立地しているという特性がある。 これは、江戸時代前半に機能していた、京・大坂・江戸の三都を中心とする流通構造とは違うものであると考えています。どちらかというと、江戸時代前半は三都の特権的な商人が主人公となり、彼らの取引ネットワークが形成されており、新興商人はなかなかそこに参入できないというイメージがあります。この新興商人については、後でくわしく見てみましょう。. 地方文化の日本史 ; 第6-7巻 書誌id: bn主題:. 江戸と地方文化 フォーマット:. (7)土産文化. 地方文化の日本史(第7巻) - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!.

研究題目「近世の地方における歌舞伎文化の展開と地芝居への影響」は、歌舞伎や人形浄瑠璃といった芸能を中心に、近世期、三都(江戸・大坂・京都)以外の地域において、人々が中央の文化を受容することが、地域文化の形成とどのように関わっていたのか、明らかにすることを目的として. 10 (日本史研究叢書) 日本史の舞台 10 風雲つげる幕末維新 江戸時代末期 集英社 1982. このような商いを担った人々によって、船と陸、モノと情報が行き交った場が港だったわけです。では港という場では、荷の扱いについてどのような業務が発生していたのでしょうか。 まず、船が港の口に着くと、曳き船が港内まで引っぱってきます。船乗りたちの世話、積み荷を降ろすか否か、船体の修繕の有無など、港としてはさまざまなサービスを供給しなくてはなりません。その窓口となるのが廻船問屋です。ただ廻船問屋はそれらの世話をするばかりでなく代理店のような役割も果たしていました。船乗りが手紙を出したければ飛脚に取り次ぐし、入出港に関する役所への届けを代行したりしました。祈願行為の代行もし、航海安全を願い、代参することまで行なっています。 積み荷についても、相場を教えるだけでなく、すぐ売りたいのか、値が上がるまで蔵に置いてから売りたいのか、売り先が決まっていて手数料だけとってそれを仲介するのか、船側の希望に応えます。また、病気になった水主(かこ)の手当をしたり、補充をしたりという口利きもした。このようにさまざまなバックアップサービスがあって船は動くわけですが、廻船問屋のもとに組織化された港の機能として、それが提供されていたことがわかります。 常夜灯や日和山の整備などは、おそらくそうした廻船問屋が主導しておこなわれたと思います。江戸時代は現在以上に受益者負担の社会でした。入港船から廻船問屋が金を取って、それを仲間組織で相談し分配したんでしょう。 現段階では、この程度まではわかっていますが、港の具体的な営みについてはまだまだわからないことも多いのが現状です。. 文一総合出版社 1977. このような市場の変化を支えた大きな要因は、舟運輸送の活発化であり、それを促したのはさまざまな性格を持った商人といってもいい。 商人は各地に広域的なネットワークをつくっていまた。伊勢商人、紀州商人、尾張商人、会津商人など多数いますが、有名なのは近江商人です。 近江商人は、厳しい倫理観と商業技術を持っており、領主も彼らの技術を必要としました。このため、江戸初期から領主と協力して、特権的な位置を確保します。その出店範囲は広く、東北ですと主要な城下町の商人は近江商人で形成され、寒い東北で需要が高かった木綿を16世紀から17世紀にかけて扱っていきます。 彼らが扱う商品は、陸上輸送が多い。納期がはっきりしている商品や高級品で、薬や呉服などです。船は大量に安価で運べるけれど、風が吹かなければ待たなくてはいけませんから、そのような商品には馴染みません。とは言うものの、中山道で高級呉服を運んだ商人が、仙台に着いたときに「大名行列にぶつかって納期が遅れて申し訳ありません」なんて書いた詫び状が残っていますから、陸路も確実といえないこともありました。 このような江戸前期に領主と密着して幅を利かせた特権商人の世界に、江戸後期には新興商人が参入するという大きな流れが各地で見られたようです。下の図表は時期ごとに異なる商人類型を一覧にしたものです。現代にも残る商人たちが江戸後期に輩出していることは、注目されるでしょう。 作成:斎藤善之さん 江戸や大坂は株仲間による統制が厳しく行なわれていたので、新規参入が難しい地域でした。ですから、奥州の産物は江戸に直接入らずに、統制がほとんど及ばない神奈川や浦賀経由で上方に入る。興味深いのは、後に開国して、最初の開港地となった兵庫や横浜は、そうした新興市場圏のターミナルとして機能していた所だったということです。18世紀から19世紀の新たな流通ネットワークの中で開港地が選ばれているのです。何もない寒村に港ができたのではないというのが私の考えで、新潟も同様です。 ちなみに、尾州廻船が浦賀で下ろした荷物は、そこの問屋が買い取ります。奥州の船荷も、同じ問屋に入ってくる。そうした問屋が、江戸では深川(江東区)や新川(中央区)にもいましたが、強い統制を受けていました。 開国を経て明治時代になると、そうした統制がいったん解除されるので、新興流通勢力が江戸にも進出してきます。. 中国の地方志は当館の特色あるコレクションの1つであり、積極的に収集している資料群の1つである。関西館アジア情報室および東京本館で所蔵しており、当館で収集した年代によって所管と検索方法が異なる。 ここでは、関西館アジア情報室を中心に、当館における地方志の所蔵状況と検索方法を紹介する。なお、所蔵タイトル数は年2月時点での数値である。. 3 シリーズ名 三重県郷土資料叢書 ; 第30集 請求記号 gc147-15 書誌id(国立国会図書館オンラインへのリンク)doi 10. See full list on weblio.

3-1 新方志の歴史. 所蔵館126館. 地方文化の日本史: 書名ヨミ: チホウ ブンカ ノ ニホンシ: 書名別名: 江戸と地方文化.

朝鮮陶工へ思い馳せ 新羅の花郎が、大隅地方にあった 鹿児島編【概論】. 第4回日本土木史研究発表会論文集 知野泰明:徳川幕府法令と近世治水史料における治水技術に関する研究. 須木村郷土誌 須木村/発行. 11501/9569774 公開範囲 国立国会図書館/図書館. 文化審議会著作権分科会基本政策小委員会(第3回) 審議会等. See full list on rnavi. 1 形態: 374, 2p, 図版2p : 挿図, 地図 ; 20cm 著者名: 峰岸, 純夫(1932-) シリーズ名: 地方文化の日本史 ; 第5巻 書誌ID: BN00941784. 地方史の思想 - 芳賀登 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。.

地方史の思想 地方文化の基盤 芳賀登著作選集. 文化審議会世界文化遺産部会(第4回)の開催 審議会等 報道発表. 江戸と地方文化 / 大石慎三郎, 木村礎編. 第8話 江戸時代の文化と栄華を支えた木版印刷 江戸時代の文化と栄華を支えた木版印刷 元禄期(17世紀末~18世紀冒頭)、文化・文政期(18世紀末~19世紀冒頭)に象徴される江戸の文化を根底から支えたのが、木版印刷による出版物でした。.

第3期 第13-18巻:維新史/第4期 第19-24巻:文化・地方史 参考文献 編集 明治大学史資料センター 編『尾佐竹猛研究』( 日本経済評論社 、年) ISBN. 日本文学史において、談林俳諧と呼ばれる俳諧の流派は延宝期(1673~1681)を中心に前後十余年間、俳壇の主流を占めたにもかかわらず、松尾芭蕉(1644~1694)が台頭することで瞬く間に消滅した。しかし、その全盛期、地方談林俳諧の人々は流通網を利用して俳諧文化圏を形成し、文化情報を. 小林市史 第1巻 小林市/発行. 江戸と地方文化 Format: Book Responsibility: 大石慎三郎, 木村礎編 Language: Japanese Published: 東京 : 文一総合出版社, 1977. 江戸と地方文化 大石慎三郎, 木村礎編 (地方文化の日本史, 第6-7巻) 文一総合出版社, 1977. 第1巻 著者 山田木水 著 出版者 三重県郷土資料刊行会 出版年月日 1970. 江戸と地方文化 フォーマット: 図書 責任表示: 大石慎三郎, 木村礎編 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 文一総合出版社, 1977.

1 形態: 374, 2p, 図版 2 p : 挿図, 地図 ; 20cm 著者名: 峰岸, 純夫(1932-) シリーズ名: 地方文化の日本史 ; 第5巻 書誌ID: BN00941784. 大石慎三郎, 木村礎編. 小林町教育会/発行 ※ 自館複写製本資料. 2 形態: 356, 2p, 図版 2 p : 挿図, 地図 ; 20cm 著者名: 門脇, 禎二 シリーズ名: 地方文化の日本史 ; 第2巻 書誌ID: BN00331240. 近畿地方の伝統的な食文化は、ダシの旨みが好まれ、関東地方に比べて薄味なのが特徴である。北前船によって蝦夷地から大量にもたらされた昆布、播磨国龍野で考案されたうすくち醤油、白味噌が伝統的に多用される。盆地で新鮮な海産物に恵まれなかった京都では京野菜や乾物を活かした京料理が発達した。海運を通じて食材の集積地となった大阪では様々な食文化が花開き、「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という諺が生まれた。現代ではたこ焼きやお好み焼きなどのこなもんと呼ばれるB級グルメも有名である。 蕎麦対うどん、鰻の蒲焼の違い、江戸前握り寿司と関西寿司、桜餅の違い、飲食物の名称など、東京との食文化の違いがよく比較される。東西で名称が異なるものには「お造り」「関東煮」「フレッシュ」「サンライズ(神戸など)」「ぜんざい」「たぬき(大阪と京都でも違いがある)」「豚まん」「飛竜頭」「レーコー」「冷麺」「回転焼・太閤饅頭」などがある。また、意外なことであるが、名古屋めしの代表格とされる味噌かつや天むすは三重県津市が発祥の地である。 その他の近畿地方の食文化の特色としては、但馬牛(神戸牛)・松阪牛・近江牛といった和牛の産地を多く抱えて牛肉の消費量が多いこと、比較的洋食指向が強く大津市・京都市・神戸市を筆頭にパンや牛乳の消費が多いこと、一方で京都府や奈良県は日本茶の消費量が多いこと、灘五郷や伏見など日本酒の一大産地であることなどが挙げられる。.

古代文化と地方 フォーマット: 図書 責任表示: 門脇禎二編 言語: 日本語 出版情報: 地方文化の日本史 江戸と地方文化 第7巻 東京 : 文一総合出版, 1978. 2-2 地方志の発展. 3-2 新方志の特徴. 2: 巻冊次: 第7巻: 出版元: 文一総合: 刊行年月: 1978. 文化芸術収益力強化事業(委託事業)採択結果・事業の進捗状況等 公募. ここでは三級志を中心に紹介する。地方志編纂は中国地方志指導小組と全国に設置された編纂委員会が連携して行っている。前述の「地方志工作条例」では、各地方で組織的に地方志を編纂すること、地方人民政府の基準に従って編纂し、審査を通過してから出版すること、地方志編纂に使用した文書、写真などの資料は統一的に管理することなどが定められている。加えて、各地の編纂委員会の多くも独自に「地方志工作条例」を定めている18。 地方志の構成はその発行主体となる行政単位の規模によって異なる。『北京志』『四川省志』『内蒙古自治区志』のような省級志の場合は「出版志」「教育志」などの主題ごとに分冊して編纂し、複数巻で1タイトルの地方志として刊行している。省級志は大部のもので100巻以上に上ることもある。各巻においては、該当分野の概要、歴史、関連団体、関連する著名な人物などを紹介している。 一方、小規模な市や県で刊行する地方志の内容はコンパクトである。構成は省級志と類似しているが、おおむね1巻から数巻程度の分量で構成される。これらはより地域に特化した情報が掲載されていることが特徴である。. 各航路では、カバーしている範囲が異なりますから、運ばれていたものも当然違います。このことは、これまで大雑把にはいわれてきたことですが、各船主家にある史料を分析してまとめることで、具体的にわかってきました。 蝦夷地から北陸、上方、江戸に流れるものは、食料あるいは肥料としての海産物があります。魚肥、ニシン、白子、数の子、昆布などです。 逆に、北陸、瀬戸内、上方から蝦夷地方面に流れるのは衣料品や食料品関係で、米、塩、醤油、砂糖、酢。さらに雑貨品。燃料としての蝋や油、建材としては畳、釘、竹、その他薬、煙草など。北陸農村から藁や、むしろとか出てきますし、東北から蝦夷地に向けては、米が大量に運ばれていますが、これは江戸時代前半には見られなかったことです。東北からは、江戸にも仙台米が運ばれます。東北への帰り荷物では、関東からの衣料品が多い。 こういう流れを押さえることで、流通路の中で港の持つ機能も少しずつわかるようになってきています。. Pontaポイント使えます! | 地方文化の日本史 第7巻 | 発売国:日本 | 書籍 || HMV&BOOKS online 支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!.

会誌『地方史研究』 408号 第70巻 第6号 年12月 年11月28日 イベント情報 年11月~年1月のイベント 年11月21日 大会成果論集 京都大会『京都という地域文化』 年11月21日. 4 大原幽学 とその周辺 八木書店 1981. 虫損があります。商品の詳細、状態は写真にてご判断ください。定期的に和本、戦前資料など出品しております。新規ID及び悪い評価が多いIDに限り、落札後24時間以内にご連絡頂けない際は落札をキャンセル致します。・発送について平日発送です。一律料金を設定しておりますので実際の送料.

. 第6巻 史料編絵図 a4 459ページ 9,900円; 国絵図・街道絵図・地方絵図などで近世の時代を絵図で探る。 四日市の江戸時代の様子を目で見る(写真261点、図版137点) 近世に描かれた、今でいう地図を77点一挙に掲載。. 都城の高麗餅 【宮崎と朝鮮メモ】 鹿児島のなかの朝鮮文化 鹿児島紀行 沈壽官、東郷茂徳. 地方・郷土史ブログの人気ブログランキング、ブログ検索、最新記事表示が大人気のブログ総合サイト。ランキング参加者募集中です(無料)。 - 歴史ブログ. . 地方文化の日本史 第7巻 /文一総合出版の価格比較、最安値比較。(11/8時点 - 商品価格ナビ)【製品詳細:書名カナ:チホウ ブンカ ノ ニホンシ 7|発行者:文一総合出版|発行者カナ:ブンイチソウゴウシユツパン|ページ数:371p|サイズ:20】. 20年ほど前に赴任した愛知県半田の大学で、地元の船主の史料を見るようになったのが、舟運の世界に足を踏み入れたきっかけです。史料を見ると、内海船(うつみぶね)をはじめとする伊勢湾の船は、塩、糠、土器(かわらけ)、瀬戸物、醸造品(酒や酢)などの民需品で、運んでいたのは新興商人です。 そのときに気がついたのは、「船の中身は何か」、「積み荷はどういう意味を持っていたのか」「積み荷はどういう所で生産され、どういう径路で運ばれ、どこでどのように消費されるのか」という視点を、当時の海運史・海事史は持っていなかったということです。モノが届くことで変っていった庶民の生活が浮き彫りになれば、どのように近代につながるかもわかるはずです。 こう考えると、いくつか疑問が生まれます。 例えば、江戸時代後半から、各地で特産物を急につくり始めるのはなぜか。 「米しかつくってはいけない」と藩からいわれているのに、ある所では綿をつくる農村が出てきます。しかも、年貢を払うために、わざわざ米をよそから買ってくる。つまり、綿を売った利ざやをとって、米を買って、さらに大量に肥料を投下しても儲かるということで、そうした農村は豊かになっていきます。 ただし、特産物に特化していくと自給自足が成り立たなくなって、それまで地元でつくっていたものを外から調達しなくてはならない。つまり、特産物は他の地域と依存関係を強めないと成立しない。それを支えたのが新興商人による流通なのです。 こうした一例として、関西では河内木綿、姫路木綿、関東近郊では真岡木綿が有名です。木綿が綿織物地帯を活性化し、そこでは着物が生産され、市場に出る。その着物が消費されると、古着となり、それも古着市場を通じて全国に運ばれる。 綿をつくるための主な肥料は千葉九十九里などの干鰯(ほしか)が有名です。しかしイワシが不漁になると、蝦夷地漁場を開拓した商人たちがニシン肥料をつくるようになります。つまり、モノの流れや、その流れを担った船主や商人を追うことで、日本の歴史をかなり語ることができるわけです。 こういう研究は、古い船主のお宅、例えば右近(うこん)家福井や内田家愛知に残っている古文書の全体目録をつくり、しかもそれを各地で比較しないと進みません。「この荷物は、なぜここに送られているのか」「なぜ、あるはずのない商品がここに混じっているのか」と、疑問.

小林市史 第3巻.

地方文化の日本史 江戸と地方文化 第7巻

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目くらましの道 - ヘニング・マンケル - 商業概論 森下二次也

-> ヘバーデン結節は自分で治せる! - 富永喜代
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